🇯🇵 日本とつながる中華曲
日本の歌謡曲がカバーされた楽曲、日本でヒットした中華曲、 日本とゆかりのある歌手たち。二つの音楽文化の美しい架け橋を紹介します。
日本とゆかりのある歌手
鄧麗君
1974年に「空港」で日本デビュー。以降「つぐない」(1984)、「愛人」(1985)、「時の流れに身をまかせ」(1986)が3年連続日本有線大賞を受賞。NHK紅白歌合戦に出場し、東京・赤坂や六本木に居住。日本名「テレサ・テン」として絶大な人気を誇り、日本語楽曲の売上は数千万枚に達した。
張學友
1990年代に日本でコンサートを開催し、NHKホールなどで公演。映画『いますぐ抱きしめたい』(1988)など香港映画が日本で上映され知名度を得た。「四大天王」の一人として日本の香港映画ファンに広く知られている。
周杰倫
映画『頭文字D』(2005)で藤原拓海を演じ日本で話題に。日本武道館を含む複数回の来日コンサートを実施。2023年には東京ドームで公演を行った。アニメ文化にも精通し日本のC-POPファンにも支持されている。
王菲
Cocteau Twinsの影響を公言し、1996年にメンバーのSimon Raymondと共同制作。中島みゆきや松任谷由実の楽曲をカバー。映画『恋する惑星』(1994)の「夢中人」を通じて日本で広く知られた。
張國榮
映画『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)が日本で大ヒットし、東京国際映画祭に複数回参加。王家衛監督作品を通じて日本の映画ファンに深く愛された。中森明菜や松田聖子との交流も報じられ、2003年の逝去は日本メディアでも大きく報道された。
梅豔芳
1980年代から日本で公演を行い、山口百恵を敬愛。映画『ルージュ』(1988)が日本で高い評価を得た。大胆な衣装やステージ演出は日本のエンタメ業界からも注目され、「香港のマドンナ」として紹介された。
劉德華
1990年代に金城武と共に香港スターブームを牽引。トヨタやキリンなど日本企業のCMに出演。映画『インファナル・アフェア』(2002)が日本で大ヒット。東京国際映画祭にも複数回参加し、親日家として知られる。
羅大佑
「台湾のボブ・ディラン」と称され、坂本龍一や細野晴臣など日本のミュージシャンとの交流がある。YMOからの電子音楽的影響も受けた。日本の音楽評論家からも高い評価を受けている。
李宗盛
台湾音楽界の大御所として、日本の音楽制作手法に影響を受けた。中島みゆきの楽曲世界との共通性が指摘され、台湾音楽の質の高さを日本に示した存在。
譚詠麟
日本の楽曲を多数カバーし、谷村新司「昴」や五輪真弓の楽曲を広東語でリメイク。1980年代の広東ポップスと日本音楽の架け橋的存在。
許冠傑
兄弟の許冠文・許冠英とのコメディ映画『Mr.BOO!』シリーズ(1976〜)は日本で大ヒットし、吹替版がテレビ放映された。広東語ポップスの先駆者として日本の研究者にも評価されている。
BEYOND
1990年代初頭に日本進出し日本語楽曲も発表。フジテレビ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』収録中の1993年6月24日、リーダー黄家駒がセットから転落し6月30日に東京女子医大病院で死去。享年31歳。この悲劇は香港・日本双方に衝撃を与えた。
陳奕迅
2000年代から日本で複数回のコンサートを開催。映画『無間道』シリーズへの出演を通じて日本の映画ファンにも認知された。日本のファンコミュニティは活発。
鳳飛飛
日本の歌謡曲を多数カバーし、中島みゆきや五輪真弓の楽曲を中国語で歌い、日本と台湾の音楽交流に貢献。「帽子の歌姫」として知られた。
費玉清
日本の演歌からの影響が深く、美空ひばりや北島三郎の楽曲を中国語でカバー。代表曲「一翦梅」は2020年代に日本でもSNSを通じて「XUE HUA PIAO PIAO」として再流行した。
林憶蓮
日本のプロデューサーと共同制作を行い、シティポップやニューミュージックの影響を受けた。坂本龍一との交流も報じられ、都会的なサウンドは日本のシティポップリバイバルの文脈でも再評価されている。
黎明
「四大天王」の一人として日本の香港エンタメファンに認知。日本企業のCMにも起用され、来日プロモーションを実施。
郭富城
1990年代に日本のCMに多数出演し、バイクや化粧品のCMで日本での知名度を確立。「四大天王」の中でも日本での広告露出が最も多かった。
江蕙
台湾語歌謡の女王として、日本の演歌から深い影響を受けた。都はるみや美空ひばりの楽曲をカバーし、台湾語歌謡と日本演歌の共通する情感表現を体現。
蔡依林
日本でのコンサートを開催し、日本のファッション誌にも登場。原宿・表参道文化からの影響を受けたスタイルでも知られ、安室奈美恵や浜崎あゆみとの比較で語られることが多い。
日本の曲のカバー・翻唱
日本の歌謡曲やJ-POPが中華圏でカバーされた楽曲。原曲との聴き比べも楽しめます。
晚秋
ワン・チウ
1983年発表。「晩秋」の寂しさと美しさを歌った季節感あふれるバラード。秋の深まりとともに募る思いを、徐小鳳のしっとりとした歌唱で表現。日本の演歌にも通じる哀愁が広東語で見事に結実した作品。
漫步人生路
マン・ブー・レン・シェン・ルー
1983年リリースの広東語楽曲。中島みゆき「ひとり上手」のカバーで、人生の旅路を前向きに歩む決意を歌った。香港での鄧麗君の代表曲の一つとして、卒業式や人生の節目に歌われることが多い。
月半小夜曲
ユエ・バン・シャオ・イエ・チュー
1987年リリース。河合奈保子「ハーフムーン・セレナーデ」の広東語カバー。半月の下で恋人を想う切ないセレナーデを李克勤が美しい歌声で歌い上げ、彼の初期の代名詞的楽曲となった。日本の楽曲と広東語ポップスの幸福な出会い。
千千闕歌
チエン・チエン・チュエ・グー
1989年リリース。近藤真彦「夕焼けの歌」のカバーで、別れの切なさを壮大に歌い上げた広東語バラードの金字塔。陳慧嫻の透き通った歌声が印象的で、香港ポップス史上最も愛される楽曲の一つ。
償還
チャン・ファン
テレサ・テンの日本語曲「償い」の中国語版。愛する人に尽くすことの幸せと切なさを歌い上げた楽曲で、鄧麗君の包容力のある歌声が「償い」の深い意味を表現している。
北國之春
ベイ・グオ・ジー・チュン
千昌夫の大ヒット曲「北国の春」の中国語カバー。日本の演歌を中華ポップスに見事に翻案し、鄧麗君の日本と中華圏を繋ぐ架け橋としての役割を象徴する楽曲。中国大陸でも「北国之春」として広く親しまれている。
愛人
アイ・レン
日本語曲「愛人」の中国語版。鄧麗君が日本の歌謡界でも大成功を収めていた時期の作品で、日本語版と中国語版の両方が広く知られている。甘い歌声で恋人への深い愛情を表現した名バラード。
我只在乎你
ウォー・ジー・ザイ・フー・ニー
1987年リリース。日本の「時の流れに身をまかせ」の中国語カバー。鄧麗君が日本でも活躍していた時期の代表曲で、原曲の持つ切なさをそのままに中国語の美しさが加わった名曲。日本と中華圏の音楽文化の架け橋的な一曲。
李香蘭
リー・シアン・ラン
玉置浩二「行かないで」の広東語カバー。原曲の持つ哀切なメロディを張學友が圧倒的な歌唱力で歌い上げ、日本の名曲を広東語ポップスの名曲に昇華させた。1989年の大ヒット曲。
海韻
ハイ・ユン
1975年リリース。海の波音をモチーフに、恋の切なさと自然の雄大さを重ね合わせた楽曲。日本語版「海よ」としても発表され、鄧麗君の多言語での表現力を示した作品。
淚的衣裳
レイ・ダ・イー・シャン
1981年リリース。中島みゆき「捨てるほどの愛でいいから」のカバーで、涙で濡れた衣服に失恋の悲しみを託した歌詞が印象的。鄧麗君と日本の音楽の深い結びつきを示す楽曲の一つ。
襟裳岬
ジン・シャン・ジャー
日本の名曲「襟裳岬」(森進一、1974年)の中国語カバー。吉田拓郎作曲の哀愁漂うメロディーを鄧麗君が中国語で歌い上げ、日本と台湾の音楽交流を象徴する一曲となった。
日本に関連する楽曲
日本のドラマ・映画に使われた曲、日本でヒットした曲、日本に言及のある楽曲など。
海闊天空
ハイ・クオ・ティエン・コン
1993年リリース。黃家駒が日本での活動中の孤独や挫折、それでも夢を追い続ける決意を歌った。リリース2ヶ月後に黃家駒がテレビ収録中の事故で亡くなり、彼の遺作として特別な意味を持つ。香港では「自由」の象徴として歌われ続けている。
千紙鶴
チエン・ジー・ホー
2009年発表。「千羽鶴」をモチーフに、願いと祈りを込めた楽曲。日本文化のモチーフを取り入れた歌詞と、方大同のソウルフルな歌唱が東西文化の架け橋となる美しいバラード。
惡作劇
王藍茵の楽曲。台湾ドラマ「惡作劇之吻」(イタズラなKiss)の関連楽曲で、日本の漫画原作ドラマのポップな世界観が反映されたキュートな一曲。
望你早歸
ワン・ニー・ザオ・グイ
日本統治時代に作られた台湾歌謡の名曲を江蕙がカバー。戦地に赴いた夫の帰りを待つ妻の切ない想いを歌った楽曲で、台湾の歴史的な痛みが込められている。
花心
ファ・シン
「花心」という名の花に恋心を託した名曲。THE BOOMの「島唄」をベースにした楽曲で、周華健の温かい歌声が花の美しさと恋の純粋さを重ね合わせた。日本と台湾の音楽文化交流を象徴する一曲。